高田馬場地名由来
1636年、徳川三代将軍家光により旗本達の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が造営されたそうです。
一説に、この地が家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)であったことから、高田の名をとって高田馬場としたとする説があります。また、それ以前に、この一帯が高台である地形から俗称として高田とも呼ばれていたため、その名を冠したとの説、その2つの由来が重なったためとの説もあるどうです。(参考:Wikipedia)
早稲田大学文学部キャンパス前にある穴八幡宮内には流鏑馬像もあるので近くに行った際にはご覧下さい。
次回は穴八幡宮のご紹介を致します。お楽しみに。